2016年のリオデジャネイロオリンピックで、3個のメダルを獲得した水泳萩野公介選手。
400m個人メドレーで日本人初となる金メダルを獲得し、200m個人メドレー銀メダル、800mリレーで銅メダルと、日本中を熱狂の渦に巻き込みましたよね。
そんな萩野選手ですが、次の目標は2020年東京オリンピックでの連覇だと、ハッキリ宣言されていました。
萩野選手なら可能だろうと、誰もがあの時は思いましたよね?
しかし、その後の年月は、萩野選手にとって、つらく苦しい苦難の時代となってしまったのです。
水の王者とたたえられた萩野選手に、何があったのか?
日本のトップアスリートとしてどのような道を歩んできたのか?現在の苦悩とは?萩野選手は結婚しているの?お相手は?
あれこれ調べてみました。お付き合い、よろしくお願いします!
萩野公介とは?
名前:萩野公介
生年月日: 1994年8月15日
出身地: 栃木県小山市
身長: 177 cm
体重:71kg
所属:ブリヂストン
萩野公介、栄光からどん底の日々?
萩野選手は、小学校1年生の時にお父さんの仕事の都合で愛知県名古屋市に在住していました。
その時に、名古屋市中村区のスイミングスクールに入るのですが、スクールの入校条件が、4泳法全てを泳げることだったそうです。
自由形、平泳ぎ、バタフライ、背泳ぎです。
萩野選手は、この時に必死にバタフライを練習したそうで、「名古屋時代がなければ今の自分はいない」と語っています。
幼い頃から苦手な種目はなく、全ての泳ぎを極めるという高い理想をかかげていた萩野選手ですが、小学校の低学年からどとうの勢いで各記録をぬりかえていきます。
競泳日本の未来をになう逸材と期待され、萩野選手自身もその期待に応えるために、弱音を1度も吐かずに、1つのミスも自分に許さず完璧主義をつらぬきます。
そして、2012年のロンドンオリンピックで高校生ながら銅メダルに、2016年のリオデジャネイロオリンピックは金をふくむ3つのメダルを獲得しました。
まさに、栄光にみちた競技人生ですね。
このまま、東京オリンピックでもどんな記録を見せてくれるのかと日本中が期待するなか、萩野選手は思いもよらぬ挫折にぶち当たることになります。
リオからの3年間、主要な大会で1度も勝つことができなくなっていたのです。
きっかけは古傷である右ひじの手術をしたことだったようですが、1番大きな原因は技術的なものではなく自分の気持ちだったようですね。
決定的に萩野選手を追い込んだレースは、2019年2月の大会、コナミオープン。
400m個人メドレーに出場した萩野選手は、自己ベストを17秒も下回るタイムでフィニッシュ。練習では確かな手ごたえを感じていただけに、萩野選手自身わけがわからなくなってしまい、がくぜんとしたようです。
完璧主義だった萩野選手は、この時に初めて平井コーチに、涙を流して「つらい。水泳が苦しい。」と弱音を吐いたのです。
王者の涙。ずっと萩野選手を見続けてきた平井コーチは、どんな思いでこの告白を受け止めたのでしょうか?
意外なことに、平井コーチは萩野選手が弱音を吐いてくれることを、ずっと待っていたそうです。
「やっと壁が崩れて、ようやく言ってくれた。」
と、のちに答えています。
その後、萩野選手は人生初の丸坊主にして、3カ月の休養期間に入ります。
休養期間に、萩野選手はヨーロッパ各地を回ったそうです。
旅行中、自分の嫌いなところを紙に書いて残していたとか。
高い理想と周囲の期待を背負っていた今まで、自分の嫌いなところなど、自分であるはずはないと思い込んでいたそうです。
初めて、自分自身の弱さとまっすぐに向き合った時間。
ギリシャのアテネに行き、1回目のオリンピックが行われた聖地で、萩野選手は改めて、ここで水泳を終わらせたくない、と強く感じたそうです。
萩野公介がたどりついた答えとは?
休養から復帰した萩野選手は、休んでいた間の体力を取り戻すために、2019年10月の強化合宿には参加せずに、日本に残ってひたすら泳ぎ続けます。
ブランクを埋めるために、異例のプランに挑むことを決意。
3カ月で6大会、30以上のレースに出場します。
かつての金メダリスト、水の王者はどんな小さな試合にも出場して、100mや200mの競技にも挑みます。
しかし、萩野選手の目標は、あくまでも400mの個人メドレーでした。
2020年1月、北島康介カップに400m個人メドレーで出場し、結果を残そうと挑戦します。
しかし、ハードすぎる練習のせいで体調を崩し、棄権。ライバルの瀬戸大也選手が圧巻の泳ぎで優勝するのを、ただ見ている事しかできませんでした。
その後も、発熱やじんましんを引き起こして、体重を4キロも落とします。
復帰後、地獄のような練習に耐えて取り戻したスタミナを、またもや失ってしまうのです。
あせっている萩野選手に、平井コーチが問いかけたそうです。
「お前は、何と戦っているんだ?」と。
その問いかけに、萩野選手は長い間答えることができなかったそうです。
答えが見つかったのは、その後のスペインでの強化合宿だったそうです。
今の自分に必要なものは、タイムではない。
どれだけ自分の泳ぎが出来るか。恰好をつけずに、できないことはできない、つらいことはつらい、苦手なことは苦手でいい。それを受け入れて、なお前に進みたい。
そんな風に素直に思うことができて、初めて萩野選手は、自分の本当に戦う相手は、今の自分だと感じたそうです。
神童と呼ばれ、1番になることが当たり前だった萩野選手が、やっと鎧を脱いで、等身大の自分に戻って見えた答えなのでしょうね。
萩野公介を支える家族は?
2016年に、それぞれ別の仕事でNHKを訪れていた2人は、偶然出会ったようです。
萩野選手はもともとmiwaさんのファンだったこともあり、その後お付き合いが始まったようですね。
お相手のmiwaさんは、紅白出場経験もあるシンガーソングライターです。
萩野選手のインスタにあがっていた写真ですが、自分の頭は見切れているのに、miwa さんはきれいに写っていて、萩野選手のmiwa さんに対する思いやりを感じますよね。
長くスランプにおちこんでいる萩野選手をmiwaさんが献身的に支えつづけて、ゴールインしたようです。
2019年の冬には、第一子を出産されていますが、性別などは明らかにされていません。
miwaさんとの結婚で、愛する家族を手にした萩野選手ですが、その後も思うような結果を出せずに苦しい日々が続きます。
そんな萩野選手を、ネットでは「miwaのせいだ」と非難する声も。
miwaさんは、どうやらお料理があまり得意ではないようで、トップアスリートにとって最も大切な日々の食事のサポートができていないなどと噂されているようです。
萩野選手の最大のライバルと言われている瀬戸大也選手が、飛び込み競技の馬淵優佳選手と結婚してから、さらに飛躍していることに対して、萩野選手は低迷を続けたままという現状に、そういった意見が出るのかもしれませんね。
しかし、miwaさんはスキージャンプの高橋沙羅さんと大の仲良しだそうで、アスリートはmiwaさんにとって、それほど遠い世界の人でもなく身近な存在だったようです。
愛する奥さんのせいだなどと言う噂を、萩野選手には、水泳で結果を出して吹き飛ばしてほしいですよね。
可愛い子供にも恵まれて、大切な家族を手に入れた萩野選手が、今後どのようにまきかえしてくれるのか、大いに期待して待ちたいと思います!
まとめ
- 萩野選手は、リオデジャネイロオリンピックで、日本人初となる400m個人メドレーで金メダルを獲得した。
- 苦難の末にたどりついた答えは、自分に勝つことではなく、自分を受け入れるということ。
- その後、長く不調に悩まされ続けるも、歌手のmiwaさんと結婚。現在は1児のお父さん。
世界中に広がったウイルスのせいで、東京オリンピックは1年延期となりました。
この1年を、萩野選手は、どんな風に乗り越えて、どんな姿を私たちに見せてくれるのでしょうか?
王者復活に、期待しています!
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